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時のすぎゆくままに~

2013年10月

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       たしか、、

先日なくなられた 作詞家 岩谷時子さん
97歳だった、、


       記憶の片隅に
       
       同じ学校だったのでは、、とおもい

ウィキペディアを 見てみると、、
やはり 大学の英文科卒業、、


越路吹雪と意気投合し
マネージャーをやる、、

海外の 唄を訳すときに
経費が乏しくて
プロの訳詞家を 雇えず
       
       越路に
  「 あなた英文科の出でしょ、、
       訳してよ」

と言われて 訳したのが
「愛の讃歌」で それから 作詞をやりだした、、とあった、、

       人生何が 転機になることか
       わからない、、


岩谷さんの訳詞は どれも 日本語の 言葉のひとつひとつが
しっかり 意味をもって
それでいて美しく、、
メロディーとも 絶妙に からみあい、、

のちには 作詞した
「君といつまでも」
「お嫁においで」
[恋のバカンス」
「ウナ セラ ディ 東京」
「男の子 女の子」   etc から
「サインは V] !!

「レ ミゼラブル」や
「ミス サイゴン」のミュージカルなど、、

みんなみんな 好きな歌ばかりでした、、

       ご冥福を お祈りします

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母校を 後にして
同じ宝塚線にのり
終点の 宝塚から また別の線で
夕方
友達の家に~

      横浜の同じ分譲地にいた
       テニスもやる 友は
       親の介護で 実家の
      宝塚に もどり 13年、、


親がなくなり
部屋も あいてるよ ということで
一晩の 宿を借りることに、、

こちらでも お庭で ご主人が日曜菜園で
いろいろ植えてたけど

宝塚の友の家は 庭がも少し広くて
プルーンや ベリーや みかん いちじくと
果物も多く
野菜も いろいろ いっぱい、、

自分ちでは 消費できずに
ご近所に配っていて、、
その お礼に 甘い物好きのご主人に
お土産の お菓子なども よくいただく、、と

    
     お話を伺っていると  ♪ ピンポ~ン ♪
     まさしく おはなしのとおりに ご近所様が
      京都のおみやげを 届けに見えて~


すっかり 根をはり 元気に暮らしていて
良かったね~
もっとも 元々彼女も わたしとおなじ
関西の生まれだもんね~


     翌日、、私の記憶にある 宝塚界隈を 見てみたくて、、

     彼女と 川の側のホテルでお食事して

     回りをぶらぶらしたけど、、

まあ~ マンション群がいっぱいで 山の方迄
マンション? ホテル?の 林立、、


     へえ~ すっかり変わった風景の
           宝塚を 

     「すみれのは~な~ 咲く頃~」と
     台所でよく歌っていた 母がみたら

     じぇ~ じぇ~ じぇ~ と 言ったかしら、、


午後の新幹線で 夕方には 家にたどり着いた 私~
     
     なあんだ~ 神戸って 近いなあ~
     と 嬉しくなった 旅でしたよ~

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この神戸行きの 旅の 主な目的~
西宮の 山の上にある 母校をたずねること、、
   
     建築家 ウィリアム ヴォーリスの手による
     スペイン風の 美しい学校~


     最近になり ヴォーリスの建物が
     取り上げられることが 多くなり
          このたびは
   神戸の中心から 移転80周年を記念しての
          シンポジウム

当日、、 こんな坂道を毎日 のぼっていたんだわ~と
暑くて汗をかきながら  すっかり変わった駅からの道を たどり、、

         女子校なのに なんて男性の  
     それも若い男性の出席者が多いのに 驚かされ、、

きっと 有名な売れっ子建築家の 隈 研吾さんが
講演するから 建築家も多く 見えているのでは、、


     在校中は全然知らなかった
     講堂の ステンドグラス、、

 ええ? ステンドグラス? どこに?と きょろきょろしたら
  単に曇りガラスとおもっていた 天井迄の大きな窓は
      乳白色の ステンドグラスで 
     とても造るには 難しいものだそうで、、

     石つくりの壁とおもっていたら
日本の漆喰をつかって 石のようにベージュの色を付け
     線刻をいれ 大谷石のように
     つくったもの、、とか、、  etc~

アメリカで集められた 潤沢な資金を元に
日本の職人の技術と
日本の風土にあわせた 資材の使い方

そして ヨーロッパのセンスをとりいれた
瀟洒なデザインの 総合力が ヴォーリスの手で
いたるところに 発揮されている、、

     そんな 建物だと
   隈さんが 絶賛なさいました

同級生が ガンで早逝したおりに
一人娘で 子供もいなかったので
何億の資産を学校に寄付、、
そして 彼女の名前をつけた ラウンジがたてられ、、
     (最後の 写真)

    其処でお茶もふるまわれて
    楽しかった学生時代の
   いきいき元気な 彼女を しばし
       偲びました

同行してくれた同級生が
[この講演会に誘ってくれ ほんとに良かった」と
いってくれて とても楽しい一日でしたよ~

          追記

ブログ友の Souさんが 図書館のはりの 不思議な模様について

コメントくださったので 写真のせておきます

ピンクと 青の 不思議な色合いの 

アラベスク模様?? みたいなのが ついています~

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神戸の物価

スーパで食品をみたら
大手のスーパーだったので(関東一円にもある)
そんな違いは感じなかったが、、


        2日目の夜
      ブログ友の S さんが
   懐石の割烹につれていってくれ
     おまかせ?なのかしら
    いろいろ 美しく出てきたけど
     お料理自体は 4000円!
(お味が 関西にしては 少し 濃いいとかんじたけどね)


      まあ~ お安いですね !!
   こちらなら お昼の懐石の 値段だもんね~


前回の訪問でも感じたけど
やはり お店で食べる食べ物は
関西は 安い

というか 東京が高い!

やはり  土地の値段が高いから
お店のテナント料や 元手がかかってるからでしょうね、、


      美味しいもん 食べるの大好きな 私としては
      美味な物いっぱいあり  お値段もやすい
            関西 いいなあ~
            と 思いましたよ

   Sさん、、 ありがとうね~ また 行きたいお店だわ~

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日が経ってしまうと
忘れてしまいそう~
いそいで 旅行のアップ アップ、、


神戸2日めは
今回の主な目的の 一つで
住んでいた周辺を 辿ること~


     まず JR 住吉駅から
     通っていた 教会へ、、

     途中の公園、、土が白いから
     あかるいね~
     (神戸は 明るい印象)

家から教会へは歩いて行ってたので
駅からの道の なじみは ないけど、、

ネットで見てたけど 教会も震災でこわれ
モダンになったから いまいち感慨がわかないね、、


    子供の時は まだ畳の お御堂で
    フランス人の ベロー神父さまが
    Hの発音ができないから
  私の名前を へんちくりんに 呼ぶのが おかしくて、、

     今の神父様
     日本人で ちょっと無愛想な?方だったです、、


隣町の 魚崎迄でるそばの 住吉川沿いに
谷崎潤一郎の 家があります

      クリスマスの夜中の ごミサに行く途中
      橋の上で 強盗が出ると いう 話も
      あったけど
      橋からみた 景色は まあ びっくり~

ちかくの 大きな屋敷だった友達の家は
ひえぇ~ おおきなマンションになり、、

私が住んでいたあたりは(これは小さな家) 
2回ぐるぐるまわったけど
さっぱりわからず、、 なんで??  道も出来てる?


      大きく思っていた川は 意外と細く
         横の道も  せまいなあ~

      週2~3回 朝食パンを届けてくれていた
      市場のパン屋さん、、
      市場が 無くなってるよ~

      教会によく一緒にいってた 酒屋のお兄さん
      酒屋も5~6年前に 店をたたんで
      引っ越したそうで、、
      会えなくて 残念~

阪急岡本までは 震災直後も一度 歩いたけど
友達の店の 肉やは 無くなり
JR 摂津本山駅前の バスターミナルもなくなり
とても狭くなって、、

       岡本まで こんなに坂だったのかしら
         毎日家から学校へ行くまで
           よくぞ 通っていたなあ


木造の岡本駅は すっかり新しく
どこにでもある駅になって、、つまらない、、

       3時間半歩き続けで 足がつりそう~

       駅のそばで 昼食

もう 来ることはないだろうなあ~
わたしの10代のタイムカプセルは すっかり記憶の中に封じ込めましたよ~
       
      

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